【翻訳】未だ消えぬ震災の爪痕 −The Economist誌より

震災後の日本 東北地方の復興、非効率な対応続く

 

引用元 ↓ 

http://www.economist.com/news/asia/21642216-rebuilding-north-eastern-region-tohoku-being-bungled-grinding?fsrc=scn/tw/te/pe/grindingon

 

 2011年3月11日に東北を襲った大地震と、津波原子力発電所メルトダウンから約4年が経とうとしているが、17万人以上の人が未だに壊滅した海岸沿いの仮設住宅に押し込められている。吉田澄子さんもその一人である。70代の彼女は夫と共に、狭苦しく陰鬱とした仮設住宅に暮らしている。彼女が住む陸前高田は、津波の被害を受けた漁港である。1750名以上がそこで亡くなり、その中には彼女の息子であり、市役所員として人々の高台への移動を手伝っていて被害にあった功さんも含まれていた。住まいと呼べる場所も仏壇もなく、吉田さんは息子をきちんと弔うことさえ出来ないと話す。今は作り付けの卓に置いた写真で間に合わせているが、あまりに長い間悲しみを抑えてきたために、涙さえ出てこないと彼女は言う。

 日本の首相である安倍晋三は、壊滅状態にある東北は経済再生を掲げる彼の計画の試金石であるという。確かに、昨年12月に行われた総選挙の初期段階で障害となったのは、陸前高田の校庭に詰め込まれたプレハブ住宅街である。しかし、他の重大要件が陸前高田の再建よりも優先されたようだ。安倍氏の金融ならびに財政政策で火がついた建築業界の好況は、施工のキャパシティーを東北からより儲かる東京へと吸い取ってしまった。東北地方では、津波で家を失った貧困層や年配者の住居が確保されていない状況で、なぜ首都には2020年のオリンピック用のけばけばしいスタジアムを建てようとしているのか疑問の声が上がっている。甚大な被害を受けた県の一つである岩手県の知事である達増拓也は、政府は東北への興味を失っていると指摘する。

  そもそも、復興には資金、エネルギー、そしてヴィジョンが不可欠であった。震災直後の数ヶ月、被災地の人々は大変な根気を示し、また全国各地からはボランティアが集まった。約2000万トンもの瓦礫はあっという間に取り除かれた。有望な都市計画者たちは、高台に建てられ、再生可能エネルギーによって賄われる新しい都市像を描いた。東北の復興は日本をスタグネーションから引き上げてくれるのではないかと夢想する人さえいた。

 これらの以前の希望を思うと、現実の遅々とした進展は人々を失望させるのに余りがある。海岸沿いどこも、多くのインフラは以前のままで、公営住宅の建築もようやく6つ目が終わったばかりである。荒地と化した陸前高田を車で走ると、カーナビの画面にはかつて家屋やガソリンスタンド、市役所などがあった場所が不気味にも表示される。陸前高田市は未だ、地震で1メートル沈んだ土地を埋め立てるために、近隣の山岳から土を運んでいる段階にすぎない。

 石巻市は、3700人が津波の犠牲にあった宮城県の街であるが、約150世帯ほどが新しい住まいに移っただけで、仮設住宅には未だに12700人もの人が住んでいる。市の職員の中には復興の遅れを東京の官僚制にあるとするものもいる。石巻市長によれば、畑を街区に変更するのに農水省から許可を受けるのに半年かかったという。

 多くの自治体で、資力がある人から住宅を建てるに連れて、当初見られた団結力は弱体化してきている。世代間の不和もある。年長世代は沿岸に立つ町や家系の墓地を離れるのに消極的である。多くの人が牡蠣の養殖や漁業から財を築いてきたからである。若い世代は対照的に、海岸から離れた高台で、より大きく統合されたコミュニティーに住むことを望んでいる。そもそもそんな町が築かれるのかという疑惑は、震災前から進行していた、地域の人口減少を加速させた。被災3県のうち最北に位置する岩手県の人口は、46000人(3%)減少した。

 震災後、日本政府は5年間で25兆円の予算を約束した。しかし、公共の資金被災者へと行きわたるには、システム上の障害が生じている。家を失ったものは、最大で300万円を受け取れる(多くの家屋は無保険だった)。多くの人が経済的に困窮し、しばしば流失した旧家屋の住宅ローンを払い続けており、移転計画のあるコミュニティへの加入を経済的な理由から断念している。

 

 一方、建設計画を立てるのは、地方公務員や中央政府ではなく、建設業界の役員にしばしば取って代わられる。陸前高田市が民間会社に中学校の建設計画を入札にかけたところ、ディベロッパー各社からは3分の1ほど予算が足りないとされ、計画は頓挫してしまった。結果として、地銀各行が自治体に使われていなかった資金を供給した。1360人以上が犠牲になった漁村である気仙沼市では、被災者のための復興住宅街が初めてオープンしたばかりである。建設会社はどこも復興住宅を建てるのを嫌がると、市長の菅原茂は言う。日本の復興庁は、プロジェクトに対する予算は十分であると主張する。しかし、人件費と資材価格が高騰し、各地で建設ブームが起こる中、建設会社にとっては選り好みできる状況である。

 例えば気仙沼市では、67000人の町に70以上の防波堤建設の計画があり、業界は最初の工事に着手するのにやぶさかではない。これらの防波堤は最大で幅90メートル、高さ15メートルにもなるが、これは政府が2011年に東北の沿岸都市を守るために必要だと判断したものである。予算は最大1兆円を見ている。しかし、この防波堤計画は、他で有効活用できる予算まで使い切ってしまう。この巨大建造物は不人気な上に、有効性にも乏しい。国土交通省でさえ、この防波堤は4年前の震災では役に立たなかっただろうと認めている。地元の代表者たちは、中央政府の主張を主な理由に、この計画を進めている。

 被災者から見て、本当の期限は2020年だと判明するだろうと伊藤悟は話す。氏は津波で母親と住まいを失ったが、その後陸前高田の市民を援助するNPOを立ち上げた。オリンピックの時までにまだ被災者が仮設住宅に住んでいたら、「海外の人はどう思うだろうか」と伊藤氏は問う。